兵庫県朝来市生野町に生まれる。同じ生野町出身の先輩である白瀧幾之助、和田三造の後を追うように1903年(明治36年)から洋画家の高木背水に師事。 1907年、東京勧業博覧会に出品した「老坑夫」が二等賞、1910年、第13回白馬会展にて「アイヌ」が白馬会賞、同年の第4回文部省美術展覧会(文展)では「九十九里」が三等賞を受賞。 翌年の第5回文展で「金仏」が二等賞となるなど目覚しい活躍を遂げる。 1913年(大正2年)に大連から、シベリアを経てヨーロッパに入り、9年もの間諸国を巡遊して苦学をしながら画技を磨く。 帰国後もすぐには展覧会に作品を発表せず、1926年(大正15年)、満を持して発表した大作「高原」が、第7回帝国美術院展(帝展)にて特選と帝国美術院賞を受賞。 その後も帝展に出品をつづけ、同展審査員を務める。1932年(昭和7年)12月、46歳で急逝。
2017年9月のギャラリー
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