15歳で父親と上京し、荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。 1907(明治40)年、正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選する。 1916(大正5)年から3年連続で文展特選となるも、1918(大正7)年に同士と共に新結社を結び、文展審査に不満を示し、文展改革の口火を切る。1919(大正8)年、発足したばかりの帝展で無監査となる。 1933(昭和8)年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力した。
2018年3月のギャラリー
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